SPECIAL INTERVIEW Vol.1 with KOSEI UENO

2019.03.13

3月20日にリリースとなるYogee New Wavesのメジャー1stアルバム『BLUEHARLEM』。大仰にいえば日本のロック史の失われた文脈を継ぐような、あるいは、人生のある季節で誰しもが経験する喪失と成長について歌った極私的な抒情詩のような——そんなスケールとパーソナルな質感を湛えた、この傑作アルバムを紐解くべく、メンバーそれぞれにソロ・インタビューを実施した。
第一弾となる今回は、ベースの上野恒星。
誰よりも、音楽という表現に対して冷静で批評的な視点を持つ彼だが、『BLUEHARLEM』は無意識の産物に近い作品だという。The Beatlesの「Nowhere Man」から始まった上野の音楽遍歴についても話は及びつつ、Yogee New Wavesの今について想うところを訊いた。

小学生の頃、「Nowhere Man」を聴いて、俺は将来、音楽に夢中になるなって確信した

——今回のインタビューでは『BLUEHARLEM』のことも勿論伺いたいんですけど、メンバーの皆さんのこれまでの遍歴みたいなことも伺っておきたくて。

生い立ちみたいなところから聞いていく感じですか?

——そうです。個人的には僕もYogeeと付き合いが長いけれど、意外とYogeeのメンバーのパーソナルなことは知らないなと。この機会を利用してもっと知りたいなっていう興味があって。あと、作品自体も「喪失」とか「成長」みたいなことをテーマにしているので、文章にしておくことで、もっと『BLUEHARLEM』を楽しんでもらえるんじゃないかなって。

あぁ、なるほど。たしかにね。よろしくお願いします。

——よろしくお願いします。じゃ、改めて。そもそも、上野くんはどこ出身なんでしたっけ?

福岡県福岡市博多区から東京にやってきました。18で、大学入るまでずーっと地元にいましたね。

——Number Girlみたいな入りっすね(笑)。結構、都会っ子なんだ。地元ではどこで遊んでたんですか?

小学生の頃は天神とかに親と一緒によく行ってました。中学とか高校になると、大名とか親富孝通りとかあの辺のちょっと不良の匂いのするエリアで遊びに行くようになって。スケートしてる先輩の姿とか見て「カッコいいなぁ」って憧れてましたね。世の中に対するオルナタティヴな生き方をそこにみたっていうか。今も地元でクラブやったり、お店やったりしてる人たちいますけど、あぁいう福岡の先輩たちには今でも憧れてます。

——自由に自分の思う通りに生きている感覚への憧れみたいなところですかね。……あと他のメンバーは平成生まれだけど、上野くんは昭和生まれですよね。

そうですね。生まれ年は1988年で、昭和63年。でも、学年的には平成と昭和がどっちもいる感じ。

——ちょうど狭間の年ですね。一番古い音楽の記憶って何ですか?

原体験的は完全にThe Beatlesです。小学校低学年の頃に「Nowhere Man」のギターソロを聴いた時に衝撃を受けて。これって、ただ音が鳴ってるだけじゃなくて違うレベルの何かだなって思ったんですよ。自由っていう概念があるとしたら、それがそのままスピーカーにつながって音になってるなって感じて。

——すごい感受性ですね。

まぁ、感じたことを今の自分が言語化したらそんな感じかなってところです(笑)。でも、その時からなんとなく「みんな将来それぞれいろんなものにハマるんだろうけど、俺は音楽に夢中になるんだろうな」ってのは感じてました。

——初めて楽器に触れたのはいつですか?

小学校の高学年になってからです。当時、俺は隣のクラスの担任の村瀬先生っていう人にサッカーを習ってたんですけど、その人がギターも教えていて。一緒にサッカーやってた友達もギターを習ってたんで「俺もやる!」って習わせてもらってました。

——音楽の趣味自体はずっと洋楽志向だったんですか?

いや、そんなことなかったですよ。The Beatlesとスピッツがすごく好きだったんですけど、その二組は影響がデカすぎて特別枠って感じで。それとは別に普通にチャートで売れてた音楽も聴いていました。L’Arc(〜en〜Ciel)とか、GLAYとか、色々ね。

——あぁ、わかる。僕も平成元年生まれですけど、あの頃、みんなL’ArcとかGLAY大好きでしたよね。「HONEY」とか「Winter Again」とかカラオケ行くと必ず歌うやついたなぁ。

この間、地元のバンドマンの先輩とカラオケ行ったんですけど、普段やってる音楽は全然そんな感じじゃないのに、やっぱり、みんな歌うのはL’Arcとかなんですよ。「Lies and Truth」とか、今改めて聴くと「あぁ、そりゃ売れるよな!」って思う。すごいっすよ、やっぱり。

——あぁいうスケール感のバンドって今なかなかいないですよね。

日本人が好きなツボをついてるというかね。

NirvanaとかRageを共有できないヤツとは何を話しても通じ合えないと思っていた、あの頃

——うーん、そうか。まぁ、話を戻すと、少年時代の上野くんはThe Beatlesとかクラシックなロックの名盤的なものも聴きつつ、同時にチャートで流行ってる音楽も聴いていたと。

そうそう。現行の洋楽を聴き始めたきっかけはガレージ・ロック・リバイバルのムーヴメントの影響ですね。The StrokesとかThe Libertinesとか、あとMando Diaoとかが出てきて……めちゃくちゃ興奮した。The Beatlesなんて今、世界で俺しか聴いてないんじゃないかぐらいにその頃は思ってたんだけど、普通にカッコいいものとして人気だったんだって当たり前のことに気づかされて(笑)。そこから、『Rockin’on』とか『Cross Beat』とか『Snoozer』みたいな洋楽雑誌を買い始めて。『NME』とかは洋雑誌で流石に高くて買えないから、レコ屋に立ち読みしに行ったりしてましたね。

——Mando Diao、懐かしい! 1stの『Bring’em In』は大名盤ですよね。

でも、まんまThe Beatlesで「これ、いいの?!」ってマジでビックリしましたけどね(笑)。同じ試聴機に入ってた、The Vinesとか、JETとかも同じタイミングで聴いて好きになっていきました。新しい音楽との出会いっていうところでいうと、夏休みの間だけ来てくれてた大学生の家庭教師のお兄さんの影響も大きくて。僕が『Bring’em In』のCDを机の上に置いてたら「お前、これ好きなの? じゃあ、これも聴きなよ」って持って来てくれたのがThe Clashの『London Calling』で、それがめちゃくちゃカッコよかったんですよ。「カッコよかったです」って先生に感想を言ったら「また、違うの持ってくるよ」って言ってくれて。これはいい先生が来てくれた……と思って、次の週を楽しみに待ってたんですけど、翌週、先生が持って来たのがJoy Divisionの『Unknown Pleasures』で。めっちゃ期待してCDを再生したんだけど、流れてきた音にマジでビックリして。「これはなんだ……?」と(笑)。レコーディングされているもので、こんなに音圧なくて演奏がヘボいバンド聴いたことなくて、衝撃を受けましたね。

——ある意味で、音楽の英才教育であり、スパルタ教育ですね(笑)。

「でも、先生がイイって思ったんだから」と思って、1週間聴き続けたら、繋がるはずのないシナプスが繋がっちゃって、完全にスイッチが入って(笑)。そこから、もうとにかく何でも聴こうと思って音楽漬けになりました。

——それ、音楽好きのあるあるのような気がする。無理して聴いてたら、いつのまにか……みたいな。

ありますよね。親父がThe Eaglesが大好きだったんですけど、俺はベルボトム履いて、ネルシャツとかクソダサいなってずっと思ってて。でも、大学生の時に突然良さがわかった。そういうダサいなって思ってた音楽ほど、反転してめっちゃカッコいいなって好きになるじゃないですか? あれ、不思議ですね。

——そういう音楽こそ人生レベルで大切なものになったりしますからねぇ。ちなみに最初のバンドを組んだのはいつ頃だったんですか?

いや、実はバンドはやりたかったんだけど、なかなか機会がなくて。バンドやる前に俺、中2でベース買ってるんですよ。急に弾きたくなって。ポール(・マッカートニー)に憧れてたのかもしれないけど。

——でも、ギターとかならわかるけど、ベースって1人で弾いててもあんまり面白くないんじゃないですか?

天邪鬼だったのかもしれないですね。みんなエレキギターとかやってるから、俺はベースやろうかな、みたいな。あと、その頃に付き合ってた女の子が新体操っていうか、バトンをやってて。その練習が忙しくてなかなか会えないから結構暇だったんですよ(笑)。じゃあ、俺もなんか新しいことやろうと思って、ベース始めたんです。

——1人でJoy Division聴いて、ベース弾いて、親富孝通りをほっつき歩いて……って上野くん、周りと比べると異質な存在だったんじゃないですか?

そうですね。あの頃はNirvanaとかRage(Against The Machine)に本当に心動かされてたから、それを共有できるやつじゃないと、何を話しても通じ合えないとか本気で信じ込んでました。

——それは……かなり尖ってますね。バンドを始めたのはいつだったんですか?

高校時代にコピーバンドとかはやってました。文化祭出たりとか……青春っぽい思い出でいうと『筑紫野ロックフェスタ』っていう市がやってるイベントがあるんですけど、これ本当に人が来ないフェスっていうか、祭りで(笑)。クラスの人気者をヴォーカルにして、コピバンでこのフェスに出たら、俺らの時だけ、めちゃくちゃ人が来たんですよ。福岡っぽいタチの悪い輩達が集結してハチャメチャに騒いだっていうのをすごく覚えてますね。あれは、楽しかったな……(笑)。

——東京に来るまではいわゆる、オリジナルをやるようなバンドは組んだことがなかった?

それこそ、JAPPERS(2009年に結成された6人組バンド。3月1日にミニアルバム『REALITY IS A DREAM』をリリース)が初めて組んだそういうバンドだったかもしれないですね。音楽をやるぞっていって東京にやってきた、あの頃の初期衝動が詰まったバンドだと思います。

何をやっても、しっくりこなかった消去法でバンドを選んだという感覚

——東京に出てきてから、上野くんはそれこそさっき話にも出ていた雑誌『Snoozer』の編集部でバイトしてたんですよね?

そうなんですよ。あの経験はデカかったですね。働き始めたら、めちゃくちゃ忙しくて、全然学校行けなくなっちゃったんで「これは厳しい」と思って、一年ぐらいで辞めちゃったんですけど。でも、そのあともよく「手伝って」って言われて、校了2週間前とかにヘルプで行ってましたね。テープ起こしから、音源の整理から、色々雑務をやってました。

——音楽ライターとかには興味なかったんですか?

そもそも『Snoozer』にバイトで入ったのも、音楽関係の仕事についたら面白いかなと思ったからなんですけど。やってみて、俺には無理だなって思いました。でも、当時、知り合った人で仲良くしてもらってる人はいっぱいいます。フジロックにテントを建てる係として連れてってもらって、テント建てるだけ建てて、あと取材もせずにただ遊んでた……とか、いい思い出ですね(笑)。素敵な大人達に囲まれて、すごく楽しかったっていうだけ。自分が書き手になれるとは思いませんでした。

——そこで音楽業界の現実なんかも目の当たりにしたんじゃないですか?

確かに。レコード会社には制作の人がいて、広告の人がいて、それとは別に事務所ってものがあって、こういうシステムで音楽ってのは作られていて、ミュージシャンは活動しているみたいなのをなんとなく理解したっていうのはあるかもですね。で……なかなかしんどい業界だなって思って(笑)。東京でバンドをやっていくのもそんなに面白いものでもないのかなぁって、いつの間にか思うようになってました。

——まぁ、そうなりますよね。普通に考えたら。

だから、地元帰って公務員になってもいいのかもなぁってその頃は思ってました。実際、一回、全然音楽とか関係ない会社に就職したんですよ。でも、働いてみたら俺はこの東京って街が好きじゃないし、仕事も楽しいけど、自分って人間は音楽しかないなって思うようになって。その時に初めて「俺は音楽やって食いたいんだ」ってことがわかったんです。だから、未だにバンドやってるのは消去法ですね。これやってもダメだし、あれやってもダメだし、じゃあ音楽やるかっていう。それを本腰入れてやろうって思ったのが大学卒業して、しばらく経った後の20代の半ばですね。

——会社辞めてから、Yogeeに入るまでは何やってたんですか?

バイトしながらJappersをやったり、友達のバンドのサポートやったりしてました。後、CMの曲でベースを弾くみたいなスタジオ・ミュージシャン的なことも。白波多カミンちゃんのバックをやったりもしてましたね。その頃に培ったことは結構今でも活きてて。技術だったりとか自分がカッコいいものを大切にしていくってことも大事なんですけど、歌う人が歌いやすいようにベースを弾くとか自分をある程度殺すことも必要というか、その面白みもこの時期わかりましたね。ただ、闇雲にバンドやってるだけじゃわかんなかったことだと思う。

——Jappersで上にいきたいみたいな気持ちはなかったんですか?

うーん……みんな、マイペースな人たちだから、売れたいとか戦略的にやりたいとかそういうのが一切なかったので。当時はもうちょっとちゃんとやりたいなとか思ってましたけど、今は納得してますね。そういう人たちでしかできない音楽もあるんだよなって。

——Yogeeに入らなかったら、今ももしかしたらサポートとかスタジオ・ミュージシャンとしてやってたと思います?

未だに長期的に見たら、そういう未来もあるのかなって思いますよ。バンドって、いつまでもあるものだとはやっぱり俺は思ってないし。俺、Nona Reeves小松(シゲル)さんを、すごく尊敬していて。Nonaって20年ちょっとやってますけど、毎年年末にクアトロ(SHIBUYA QUATTRO)でワンマンをやるんです。これ、実はめちゃくちゃすごいことだと思うんですよ。小松さんは佐野元春さんとかいろんな人のところで叩いていて、奥田(健介)さんもレキシとかで弾いてて、西寺(郷太)さんもいろんな活躍してるけど、それでもNonaはずっと続いてるし、デビューした頃と同じくらいのキャパシティだったりムードをキープし続けている。それって、めちゃくちゃ素敵な人生だなって俺は思ってるんです。好きな音楽を同じメンツでやり続けるっていうバンドのコアな部分をずっと維持してるっていうことが、すごくリアルだと思う。そういう風に音楽が続けられたら、ある意味で理想的な形だなって思うんですけど。

——なるほどなぁ。

あと、地元の先輩で、The Cigavettesの山本幹宗さんっていう人がいるんですけど。くるりとか銀杏(BOYZ)とかのサポートやられてる人で。今でも週に1〜2回飲みにいくんです。先輩だけど一緒に人生を歩んできてて、結婚したりとか、お子さんができたりとか、そういう過程をみてきてるんですね。「あぁ、人生ってこういうことなのかな」ってある種の理想の形を先取りで見せてもらっているような感じがします。

——ミュージシャンとしての生き方の見本というかね。上野くんは、周りの大人たちから素直に学んできたような気がしますね。

うん。そうかもしれないですね。

テネシー州ナッシュヴィルでつかんだグルーヴの真髄・街と音楽の関係

——ベーシストとして影響を受けた人っていますか?

うーん、どうだろう。でも、ハマくんとか見てるとあぁいう人たちには一生かかっても勝てないなって思いますね。ベーシストとしての知識がすごく深いし。俺はタイプ別でいえばですけど、Paul Simononみたいな感じだと自分では思っていて。「これ、どうやって考えついたの?」とか「これどうなってるの?」って部分で勝負する感じだと思います。

——ここ一年ぐらいで、影響を受けた音楽って何ですか?

色々あるんですけど、ただやっぱりレゲエとかダブとか、Sly and Robbieみたいなあの辺はよく聴くようになりましたね。

——最近、Yogeeのグルーヴが目に見えて変化したような気がしていて。ヘビーというか、身体全体を芯から揺らすようなものになった気がするんです。

グルーヴの変化に関していえば、個人的にはアメリカ・テネシー州のナッシュヴィルに行ったことが影響してる気がしてます。

——あぁ、皆さん、それぞれ休みを取って旅行に行かれたって伺いました。上野くんはナッシュヴィルだったんですね。

そうそう。で『グランド・オール・オプリ』っていうカントリーの殿堂みたいなところに行ってきたんですけど。何に驚いたって、音の鳴り方が全然日本と違うんですよ。そもそも、音がすごくちっちゃくてナチュラルで。ステージで鳴ってる音をちょっと調節してスピーカーから出してるだけみたいな感じ。それは多分、音の響きをきちんと聴かせるために音量に余裕を残してるんだと思うんですけど。サスティンの最後、音がクッと止まるまでしっかりと聴こえるんです。そこまでコントロールが効くと、グルーヴに自然とうねりが出るんですよね。あぁいう引くとこもあって、押すとこもあってみたいなグルーヴを目指したいなって思ってます。

——筆さばきがきちんとみえるような演奏というか。

その柔らかさというか、グラデーションみたいなものが出せる演奏力を持っていないと、海外で勝てないんだろうなぁって思いましたね。

——Yogeeがやっぱり面白いなって思うのは、全員リズム楽器の経験者じゃないですか。粕谷くんは言わずもがなだけど、健悟もドラマーだったし、ボンちゃんは前のバンドでベースを弾いてたし。

あぁ、そういう意味でいうと、健悟やボンちゃんはその辺、かなりグルーヴに関して厳しくやってる感じがありますね。

——なるほど。

海外で勝負していくってなると、リズムの部分ってめちゃくちゃシビアになってくると思うから。そこで戦うためにはもう一段階、階段を昇れたらなってのはありますね。

——ナッシュヴィルには、もともとそういうグルーヴの真髄探しみたいな目的で行っていたんですか?

いや、それは思わぬ副産物みたいなもので。俺がナッシュヴィルに行って一番肌で感じたかったのは、街と音楽の関連性みたいなものなんですよ。(Bob)Dylanが『Nashville Skyline』っていう、ナッシュヴィルのミュージシャンたちと同じスタジオで録った作品があるんですけど、アレを現地で聴いてみたかったんです。やっぱりDylanとか、井の頭線乗りながら聴いててもよくないんですよね。東京の街を歩いている時には、宇多田ヒカルとかがしっくりくる。そういう、LA行って、Jackson Browne聴いたりとか、ニューヨーク行ってヒップ・ホップを聴くみたいなことがやってみたかったんです。

——実際、聴いてみてどうでした?

音楽って、ただの音なんですけど、創られた土地のいろんな要素を内包していて。空の色とか、街の雰囲気とか、人と人との距離感とか、そういうのが全部現れているなって思いました。具体的には、空間を強く意識しましたね。アメリカならではのパーソナルスペースの感覚というか。東京のライフスタイルって壁一枚を隔てて、隣に人が住んでるってことが当たり前になってるじゃないですか。満員電車に乗って、距離感ゼロの中で仕事に向かう。そういう風に暮らしていると、アメリカで創られた音楽にあるような感性ってどうしても育まれないなって思いました。そもそも、暮らし方が違うから、音も違ってくるんだ、と。

——それって別にアメリカがいいとか悪いとかって話でもなくて。モノマネじゃダメだ、ってことですよね。

そうです。だから、東京に住んでいるからには東京の音楽をやっていくことがすごく大事だなって思って。最近、Yogeeはアジアに積極的にライヴしに行ってるんですけど、健悟は最近「世界に出る」ってことを強く意識しているんですね。それを実現するためには、この俺らが生きている東京の感じを伝える手段を学んでいかなきゃいけないと思っていて。もしかしたら、それは海外に思い切って出ないとわからないことなのかもなって思ってます。この辺は今後のキーワードになってくるんじゃないかな。

大人になったような、原点回帰したような音楽で東京のリアリティと幻想を描くということ

——『BLUE HARLEM』は上野くんとボンちゃん(竹村郁哉)が加入して、2枚目のアルバムですけど、この作品を紐解いていくためには加入した時から今にかけての話を聞くこともすごく大事な気がしているんです。そもそも、加入する前のYogeeに対する印象ってどんな感じだったんですか?

いびつで面白いグループだなとは端から見て思ってましたね。単純にいうといろんな要素が入ってガチャガチャしてる。この個性全開の集団に俺が入ったらどうなるんだろうって少し心配でもありました。

——加入して、すぐに『WAVES』がリリースされるわけですけど。このアルバム、今聴くと押せ押せというか、フレッシュでパワーに満ちた作品ですよね。

それは健悟が、ガッツリ4人でやっていきたいって思っていた気持ちが込められているからじゃないですかね。隙間が全然なくて、元気一杯(笑)。

——2016年の暮れぐらいから、Yogeeに合流してセッションし始めて、17年の1月に正式に加入が発表されたんですよね。どうなるかなって不安を抱えながらも実際に音鳴らしてみて、どうでしたか?

Yogeeってメンバーの仲がめちゃくちゃ良くて。一緒に生活しているようなもんだから、今、『WAVES』を聴いてみると、当初はそのムードに入り込みすぎていたかもなって感じもしますね。バンド全体のことを考えてっていうより、健悟とカスちゃん(粕谷)の「やるぞ!」って空気に引っ張られていた感じ。でも、そんなこと考える暇も余裕もなく、ただただ楽しんでましたけどね。

——『WAVES』のレコ発ツアーが終わって、次の作品を考える余裕みたいなものとか、メジャーデビューも決まってましたから、改めてバンドを振り返る時間もできたと思うんですけど。何か、こうしていきたいみたいなところ、個人的に考えていたことはあったんですか?

単純にもう少しチルっぽい要素を入れたいなぁとはなんとなく思っていた気がします。「Climax Night」とかあぁいうYogeeの良さみたいな部分は、絶対にあるので、あぁいう部分をもっと出したいなって。

——Yogeeに入って、やっぱ違ったなとか辞めたいなって思ったことはなかったですか?

それはないかな。もうちょっと頑張りたいなって思いは常にありますね。というのも、前回のツアー(2018年年末に行われた『CAN YOU FEEL IT TOUR』)の時は割と俺、戦ったんですよ。今回は「CAN YOU FEEL IT」っていう曲を軸にして一本筋を通すって決めて。あの曲って時代や環境が変わっても、音楽とそれを楽しむ人の関係性は変わらないってことを歌っているんですね。そのテーマをはっきりとわかりやすく表すために、サポートを入れたり、映像演出を導入しようって健悟を説得したんですよ。

——そんなことがあったんですね。

キーボードの(高野)勲さんとパーカッションの松井(泉)さんをサポートを入れることについても、健悟は結構「いや、どうなるかな」って渋ってたんですけど、曲の持っている普遍性みたいなものをきちんと説明するために絶対に2人の存在は必要だって伝えました。実際、そういう風にテーマを設定して、それを伝えようと色々なことにトライしたことで、今までのツアーとは格段に違う高みに到達できたと思うんですね。

——ミュージシャンとしての、一つの成長というか大人の階段を登った感じがありますね。『Spring Cave e.p.』のリード曲の「Bluemin’ Days」や「CAN YOU FEEL IT」を聴いた時に、すごくいい曲だと思って興奮もしたんだけど、まだ『WAVES』の感じを引きずってるのかなって不安もやっぱりあって。「Bluemin’ Days」のカップリングの「Prism Heart」の方が次のYogeeのモードにはふさわしいんじゃないかなって勝手ながら思ってた(笑)。でも、今の話を聴いて、Yogeeは確かに前を向いて進んでいたんだな、と。

言いたいことは、わかりますよ。確かに「大人っぽく」っていうのは今作の一つのテーマとしてあった気がしますね。みんな歳をとっていってるわけだし、いいことも悪いことも人生の中で経験していて。それを音楽として昇華したくて、サポートのお二人にも参加をお願いしたっていうのはあります。

——そういうツアーを経ての達成感みたいなものを携えながら、『BLUEHARLEM』の制作に突入できたということも、やはりアルバムの完成度には影響しているのかなとも思うのですが、どうですか?

それはあったとは思いますけど、制作の段階ではスケジュールがタイトだったこともあって、俺自身は割とノープランで健悟に任せていた感じかなって気がします。

——音楽的にいうと、原点回帰的なと言ったら大げさですけど『PARAISO』の時に無意識に表出していたダブ的な要素がより意識的に出てきていて。ここが、結構肝だったのかなと思うんですが。日本のロック史の中でFishmans以降、どこかで途切れてしまった大事なコンテクストを今、Yogeeが埋めようとしている……とも感じたんですけど。

あぁ、それはあるかもですね。海外行ったことで、思ったのがやっぱり自分たちの強みをしっかり出していかなきゃいけないと思ったんですね。なんでもやれるバンドじゃ、絶対通用しないから。こういうノリをやらせれば俺らは世界で誰とでも闘えるっていう一つの型を用意して、研ぎ澄ませていきたかったってのはあるんですよ。Yogeeは日常の中にそういうダブ的な要素みたいなものを見いだしているバンドだと思うんですね。Yogeeに加入する前、「Climax Night」を俺が初めて聴いた時に思ったこともそれで。東京という街のカルチャーとして、そういう要素を取り入れている。このアルバムで僕らが成し遂げた成果は正直、まだまだだったと思うので、次の作品でそれをもっと突き詰めていくことになるのかなと。

——うーん。でも、僕はその過渡期にある、まだ自分たちの強みみたいなものに気づいているようで気づいてない状態の作品ってすごく好きですけどね。The Beatlesで言えば『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』に到達する前の『Revolver』や『Rubber Soul』のような。

ははは、確かにね。そう言われてみると、そうかもしれない(笑)。意外と自覚してなかったけど、ちゃんとオリジナルなフィーリングはあったみたいな。その塩梅の作品が好きって気持ちはリスナーとして共感します。

——タイトな制作期間や、初めてサポートを入れてがっつり作ったとか、そういう不安定な要素が独特のムードを醸し出しているっていう面白さがこのアルバムにはある。

すごく面白いですね。そうかもって思ってきた(笑)。たしかにこのアルバム、「これをやろう!」って決めて作ったアルバムじゃないから、無意識の産物っていう感じもあって。取材とかでも、正直、マジで何を話していいのかわからなくて、困ってるところはある(笑)。

——そういうなんとなくできてしまったものって、往々にしてのちに大名盤として語り継がれることになると思うんですけどね。メンバーやサポートの方のプレイで、これが驚いたとか面白かったみたいなことって記憶にあります?

「SUNKEN SHIPS」は、もともと健悟の弾き語りでほぼ完成していて、バンドのメンバーはどうしようかなって感じでレコーディングに入ったんですよ。それを勲さんがめちゃくちゃ仕切ってアレンジしてくれて。具体的に音符でどうのこうのってやりとりはなかったんですけど。「こうしたほうがいいんじゃない?」とかアドバイスしてくれて。

——「SUNKEN SHIPS」は、上野くんのプレイが素晴らしかったとボンちゃんが言っていましたけど。

あぁ、たしかに「SUNKEN SHIPS」は今までのYogeeではやってこなかったアプローチですね。The Beatles的というかポール・マッカートニー風のベースを弾こうと思ってチャレンジしてみて。今までのYogeeにはなかった要素ばかりが詰め込まれた楽曲なので、これをできたのはバンドとしての受け皿の成長かな。

——1曲目の「blueharlem」に関していうと、上野くんはこの曲は歌詞がないほうがいいんじゃないかって思ってたらしいっすね。

そう。ちょっと説明的というか、言い過ぎかもなぁって思ってました。言葉がないほうが伝わるって場合もあるので。でも、今回はトータルで見るといいバランスに落ち着いたのかなって思いますね。『WAVES』の時の情報過多な感じとは違って、いい塩梅になっている気がする。健悟は取材とかでよくこの作品が島三部作の最後で、旅が終わったって説明してるけど、大人になってまた最初にいた場所に戻ってきたような感覚が『BLUEHARLEM』にはありますね。

——その感じは確かにわかります。Yogeeが自分たちの魅力を再確認して、それを超えていくよう何かを作ろうとした試みが見て取れます。

俺はYogeeは都市のリアリティというか生活的なところ、そういう場で生まれる妄想や想像、理想みたいなものを描いていくバンドだと思ってるんですよ。『WAVES』とか直近のシングルでは「海」的なモチーフがフィーチャーされてましたけど、今作では島のことを歌いつつも、やっぱり都市に回帰していくような感じがして。歌ってる人間は実際には島を旅しているというよりも、都市にいるというような感覚があるような気がするんです。「Climax Night」では夜の幻想的な東京の街を歩く、健悟の姿がビデオに収められてましたけど、ちょっとそれに近いテンションですよね。意図して「『PARAISO』をやろう!」とかはバンドでは言ってなかったですけど、計らずとサウンド的にも歌詞的にも原点回帰して無駄なものが削ぎ落とされていった感じもある。

——リアリティというよりは都市生活者が洋行の夢をみているようなモンド感やエキゾ感みたいなものが、漂っている気もします。夢を見ているんだけど、体はきちんと現実にあるような。

それはすごく本質的な指摘だと思います。僕の個人的な思いとしては、やっぱりミュージシャンは世の中のことを歌って言ったほうがいいと思ってるんですよ。100%ファンタジーじゃなくて、世の中と繋がっているとか結びついてることが大事で。

よくわかんないものができたけど、これって最高だよね?

——上野くんのインタビューは次に向けた発言が多かったと思うんですが、今後、どうしたらYogeeはもっと良くなっていくと思ってますか?

まだまだ完成期ではないから、この作品で見えた答えらしきものに向かって、研ぎ澄ませていくってことじゃないですかね。今まで以上にもっとフィジカルな力がついたら、PRの方法とか音楽以外の部分でもやれることが変わってくると思うんですよね。

——本質的なところに自信があれば、やれることがどんどん増えていきますよね。

そういう意味では今作の制作ではまだまだ伸び代が全然あるし、やれてないことややってないことも沢山あるって気づけたので。次に作る作品が僕らにとっての『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』になればいいなとは思ってます。

——まぁ、でも『BLUEHARLEM』は大傑作だとは思いますよ。

だと、いいんですけどね。

——バンドって「バンド・マジック」って言葉があるぐらい予測不可能なことが起こりうるものじゃないですか。だから、面白いし、こういう作品もできる。

そうですね。今の時代、バンドってフォーマット自体、めちゃくちゃ無駄が多いですよね。やるんだったらレーベルを通さずに、1人で音楽作って、1人でアップロードしてってほうが音楽を聴いてもらう上では効率がいいに決まってる。でも、そんな効率ばっかり考えてても、どうしようもないっすよね。「よくわからないものできたけど、これ最高だよね?」っていうのが、バンドの本質だと思うので。

——音楽だから、別に言葉にできなくても本当はいいはずなんですよね。

そうそう。感じていることは色々あるけど、それを言葉にせずにやってるってところが美徳なのかもしれないって思いますね。自分たちでもYogeeのこれからにはワクワクしてますよ。どんなことが起きるか、わからないのが、このバンドの魅力だから。他人事みたいだけど、これからが楽しみですね(笑)。